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2023/03/24 10:23

怪我した白狐の癒しの湯。それが湯田温泉の始まりです。600年前、温湯山竜泉寺の池を毎夜訪れる白狐がいました。どうやら片足を怪我しているようで、足を池に浸してじっとしていました。


白狐が去った後、住職がその池をすくってみたところ、なんと温かかったのです。驚いた住職は、その池を深く掘り下げてみることにしました。すると、金の薬師如来像が出てきました。そこでさらに深く掘ってみると、大量の湯がこんこんと湧き出てきたのです。

喜んだ住職は、池を屋根で覆い、そばに仏堂を建てて薬師如来を安置し、この地を守る仏として崇め始めました。

それ以来、山口から多くの人が集まる人気スポットになりました。薬師如来に拝んで入浴すると不治の病もたちどころに消え、健康になると評判になり、この地はいつしか湯田と呼ばれるようになりました。

 こうして山口の民衆に愛されるようになった湯田温泉は、激闘の幕末においても、変わらず愛され続けました。

 山口といえば、幕末の志士にゆかりの深い土地です。その中で湯田温泉は、高杉晋作や伊藤博文、坂本龍馬らが酒盛りや密会を行う場として愛用されました。

 松田屋という湯田温泉随一の老舗旅館には、実際に、彼らが入浴した浴槽も残っており、「維新の湯」と呼ばれています。

 

 湯田温泉は、詩人の中原中也が育った地でもあります。

1907429日、中也は湯田温泉で医院を開業していた中原謙助、フクの長男としてこの地で生まれました。1929年に河上徹太郎ら友人たちと同人誌「白痴群」を創刊。1934年には第一詩集『山羊の歌』を出版し、詩壇に認められます。フランス詩の翻訳も手がけるなど広く活躍しましたが、わずか三十歳で短い生涯を閉じました。

湯田温泉の足湯が設置されている井上公園に建つ詩碑では、中也がこの地を思い詠んだ「帰郷」という詩が刻まれています。