Yamaccho は、現在準備中です。

2023/03/18 11:54

山口県柳井市の伝統織物、柳井縞。その歴史はある男の裏切りから始まります。

その男とは、関ヶ原の戦いで西軍総大将となった毛利輝元の重臣、吉川広家です。


織物の歴史にどうして関ヶ原の戦いがでてくるのか。

それは彼が戦後に治めた領地が関係します。吉川広家は、代々仕えている毛利家を大切に思っていました。とはいえ、東軍総大将の徳川家康率いる軍を相手に勝ち目はありません。そこで、友人の黒田長政を通じて軍を足止めする代わりに毛利領の安全を保証してほしいと家康にお願いしました。


その結果、戦には負けたものの、毛利家はお取り潰しを免れ、現在の山口県ほどの領地が残されました。そして、広家にはその中の岩国領が与えられました。この岩国領こそが現在の岩国や柳井の辺り。つまり、柳井縞が生まれた場所というわけです。

柳井縞は縦縞で素朴な色合いが特徴的な織物で江戸時代中期、柳井木綿として全国に親しまれました。しかし、明治時代になるとだんだん織物の需要は衰退していき、大正時代には幻の織物となってしまいました。

現在は、伝統復活の声を受け、柳井縞の会が発足され、「新生柳井縞」として、再興が図られています。そこでは、本格的な機織り機を使ったコースター作りや、藍染めのハンカチ等を染める体験ができます。

★柳井縞製作体験記はこちら!★

Nori Nori Instagram